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2005年4月15日

「或る女」

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私が愛読している恋愛系ブログのひとつに虚偽的恋愛生活がある。このブログはA.projectsのみみ氏によるもの。スタンダールの恋愛論」を中心に映画や時事、身の回りの事柄から恋愛を考察し、機智と諧謔に富む表現にいつもニヤニヤしながら読ませていただいている。サイド・バーには「愛るけ」、「赤と黒」、「或る女」の感想コーナーがあったりして、これもニヤニヤ。

A.projectsにはそれと対となるよしき氏のブログ「或る女<それに関する観察記録>がある。このペアのブログと彼らが取り上げる「恋愛論」がきっかけとなって、「或る女」(有島武朗)に興味を持ち読んでみることにした。

読み始めてすぐに驚いたことがある。巻末の注解がやたら詳細なのだ。主人公 葉子のモデルといわれている佐々城信子国木田独歩の元妻。独歩をモデルとした木部は物語の分岐点となる場面でたびたび登場。葉子をスキャンダル記事で追い込む田川夫人は鳩山一郎の母で、共立女子大創立者の春子がモデルである etc…明治に実在した人物達が多数登場する。「この物語はフィクションです」と断られながらもノン・フィクションのようで、好奇心をより一層煽り立てられるのである。

さて、葉子とはどんな女なのか?「赤と黒」のマチルドのような女?マチルドはスタンダールが恋していた女性がモデルとなっているが、有島も信子に恋していたのはまず間違いないだろう。有島はトルストイに傾倒していたせいか、葉子は「アンナ・カレーニナ 」に似ているところもある。新潮文庫の裏表紙には「個性を抑圧する社会道徳に反抗し、不羈奔放に生き通そうとして・・・」と書かれている箇所がある。これが書かれた1919年当時はもちろん戦後しばらくはそのような解釈で良かったかもしれない。しかし今それはそぐわない表現のような気がする。では何か?更なる上を目指す美女のためのファム・ファタル指南役?

才気あふれる美貌の女は特別な存在である。周囲の空気に緊張を与え、全ての振る舞いに意識的である。賞賛と嫉妬、羨望と欲望に曝される中、周りの者達が何を考えているのかを読み取り、どのように演出すべきなのか少女の頃より身に付けている。実の親でさえその扱いを持て余しているのを見たことがある。あまり目を合わせないで「~さん」付けで呼びかけ、「です」「ます」調の距離を取った親子の会話・・・・・・根源的な愛が不足していたりするのかもしれないが、自ら求めようとしても容易に人を信用出来ない。そのため女は愛と忠誠を要求し、才気に頼って彼を試しそれらを引きだそうとする。被験者は最初はピュアな心で女に近づいたのだとしても、長いこと吊されているうちに汚物を流しはじめる。しかしそれは女も同じで、彼の心の内が手に取るように分かったとしても、ひどい実験を繰り返さずにはいられない。自らの行いに罪を感じながらも、猜疑心はますます増幅していくのである。そして「私、今に罰を受けるわね」などとの賜ったりするのだ。

こんな風に思うのは私の経験の少なさ?偏見?
ファム・ファタルな貴女!ちょっと反論してみない?

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カテゴリー: |  コメント (5) |  投稿者:hyodo

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