2008年5月23日
ストーカーを観て
今年の3月、川口メディアセブンでタルコフスキー特集が組まれた。上映作品は「僕の村は戦場だった」、「ストーカー」、「鏡」、「惑星ソラリス」の4本。「鏡」は護国寺のお茶会と重なり観に行けなかったが、他の3本は観た。タルコフスキーは、ヴェンダースが敬愛する映画監督(他にトリュフォー、小津安二郎)のようなので、以前より作品を観たいと思っていたのだ。まず「惑星ソラリス」を観たいと思った。原作「ソラリスの陽のもとに」は人間の最も弱い部分をえぐり出した小説で影響を受けた作品でもあったし、ソラリスがどのように表現されるのか興味があった。この作品はソダーバーグ監督の作品と見比べてから感想を述べたい。で、今回の取り上げたストーカーだが、
上映が始まり、タイトルがキリル文字で
Сталкер
と表示されたときは、オォーッと思った。
それはさておき、この映画は、ユートピアを思考する物語であるが、簡単にまとめると、「ゾーン」と呼ばれている立ち入り禁止区域があり、「ストーカー」と呼ばれる案内人の男が依頼人の作家と教授を連れて「ゾーン」に侵入する。「ゾーン」内には「部屋」と呼ばれる場所があり、そこへ行けばなんでも願いが叶うとされている。3人は「部屋」目指し、入口にたどり着くが、結局誰も部屋に入らず、「ゾーン」から帰る。
「部屋」とは人間の欲望を物質化する装置である。映画のなかでどの役が話したのか忘れたが、こんな逸話が紹介される。「ある男が、死んだ弟を生き返らせたいと思い、『部屋』へ行ったのだが、弟は生き返らず、金持ちになっただけだった。その男はショックを受け、自分を責め、自殺した」と。「ソラリス」も人間の欲望を物質化するが、「部屋」はより醜い欲望を現出させるようである。しかし、欲望が満たされることで、逆にその人間の精神が参ってしまい、自死に追い込まれるという点では一致する。
人間とは何か?をひたすら問うタイプの映画なので、ストーリー重視の人にはお勧めできないが、演出、映像ともに心に残る映画だった。「ゾーン」への侵入や、「部屋」へ向かう道のりは、宗教的な儀式のようで、観客の哲学的思考を美しい映像とともに深めてくれる。
映画を観た後、妻が図書館で借りてきたタルコフスキーの著書「映像のポエジア」には、ベルイマンの作品に関する言及が結構あった。ベルイマンやヴェンダースが好きな人には、ものすごくオススメです。
今日の写真
「ゾーン」は湿っぽく、油やゴミが流れる小川がある。なのになぜか美しい。・・・イメージして撮ってみました。