2005年5月の記事

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2005年5月31日

朝食にトマトジュース復活!

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私は毎朝トマトジュースを飲んでいる。しかし愛飲していた北海道の「オオカミの桃」という商標のトマトジュースは、昨夏の台風のせいでビニルハウスが壊れてしまってトマトの収穫量が激減し、出荷停止を余儀なくされたようで、ここ半年ほどは飲んでいなかった。先日、母が買ってきた料理雑誌にトマト特集が組まれており、全国各地のトマトジュースカタログが付いていたので、この際「オオカミの桃」は諦め、愛知の「まるごと完熟とまとちゃん」を取ってみることにした。この手の生搾りトマトジュースはドロドロしているのが特徴だが、塩分控えめでさっぱりとしたお味。室温で飲むと甘みがよくわかりよりおいしい!しかしどちらもすごいネーミングだ。

久々のトマトジュースはおいしい!

朝食が充実してうれしい!

私は一日の食事のうちで朝食が一番好きなのである。
旅行先でも朝食が美味しいとその日が楽しくなる気がする。
印象に残っている旅行先の朝食は・・・

香港シャングリラ・ホテル
料理、チーズ、果物、生ジュースの種類がものすごく充実していて旨い。ミルク、ヨーグルトでさえ山羊だの羊だの牛乳以外のものまで用意してある。バイキング形式だが、コーヒーとオムレツは注文制なこともマル。

イギリス、コッツウォルズ・ローワースローターのマナーハウス
完全なるイングリッシュ・ブレックファースト。ドライ&ウエット&フルーツなどシリアルだけで3皿も出てきた。朝からフルコース状態。

キルギス、チョルポンアタのローザの家 (写真)
粥にバターと砂糖をかけたカーシャにはじまり、手作りのスグリと杏のジャム、ハチミツ。目玉焼き、サラミ、キュウリ、トマト、パン、紅茶。果物は杏、スイカなど。特にカーシャと手作りのバターとジャムに感動!

イエメン、アル・ムカラ発アデン行長距離バスの朝食
チャイ(甘い紅茶)とホブス(パン)とショクシューカ(野菜オムレツ)、そして羊の脳ミソとスペアリブ。羊の頭が出てきたときには驚いた。ちなみに全部で60円でした。

ちなみに我が家の毎日の朝食メニュー(1人前):

  1. トマトジュース コップ1杯
  2. カスピ海ヨーグルト 茶碗1杯+ハチミツと季節のジャム<-夏みかんママレード
  3. スライストマト 半個<–トーストにハチミツをかけて乗せる
  4. バナナ 半個<–トーストに乗せる
  5. トースト 8枚切り2枚
  6. ミルクティー マグカップ1杯<–カルダモン、シナモン入り
  7. 季節の果物<–最近はグレープフルーツ。夏はメロン、秋は梨、冬はリンゴ等
  8. その他時々あるものとして、アボガド、アスパラ、キュウリ、ブロッコリーなど。

トーストにハチミツをかけた上にスライストマトを乗せる食べ方は、いつも「えっ?」と退かれてしまうのですが、本当に美味しいので是非試してみてください。

※今日のソフト・ハウス写真はお休みです。

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2005年5月25日

ソフト・ハウスの写真

オシュのジャイマ・バザール
先日より始めたシリーズ写真を紹介する。ソフト・ハウスとはビニルハウスやテントなどのメンブレインを使用した簡易工作物とここでは定義したい。前回の写真は簡易工作物では無かったが、ちょうどウズベキスタンの暴動がニュースになっていたので載せた。

ソフト・ハウスの特徴は、屋根が光を透過する素材で明るかったり、壁が無かったり、床が土間や外部と同じだったりすること、壁や床があったとしても外の様子がよくわかることである。ようするに雨はしのいでくれるかもしれないが、外気や外敵から身を守ったり、プライバシーを保ったりするには心許ない建築のことである。

今回のシリーズではその魅力を紹介していきたいと思う。今日の写真は、フェルガナ盆地のキルギス側の都市オシュの巨大なジャイマ・バザールの宝石商が集まるセクション。宝石は鞄ひとつで商えるので、食料・衣料品のバザールと違って屋根の下に店が少ないのが特徴。

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2005年5月18日

水着と股浅ジーンズの流体力学

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先週、水着を買った。私は週1回のペースで市営の温水プールで泳いでいるのだが、今の水着がダメになったからである。何がダメになったかというと、尾てい骨の下付近の生地が薄くなってきて透けてきたのだ。以前の水着もそうだった。なぜだろう?

競泳用の水着を買うのは3枚目である。形は膝上までの股引タイプ。speedoというメーカーのAQUABLADE スパッツという無地の製品で、色はブルー、サイズはM。以前は高級素材だったアクアブレードⅡという水の抵抗が少ない生地が標準となった。なんでもこの生地は、表面のウロコ模様の撥水プリントが非撥水部の流水の速度差が生み出すタテうずの効果で、水着表面上の乱流を抑制することに水着と水に生じる抗力を低減しているのだそうだ。

実は私、大学時代は流体の基礎研究の研究室に所属していた。固体表面に流体が触れる5ミリ程度の流れの層(境界層)に直径2ミリ高さ2ミリの微小円柱を置き、その周りの流れを風洞実験により調べることが卒業研究のテーマであった。そんなわけで、私は微小突起を利用したアクアブレードのような低抵抗素材に興味があるのである。

それだけではない。泳ぎのフォームにも並々ならぬ関心がある。例えばクロールなどの腕のフォームの注意点として「水を手のひらに垂直にかいてはいけない」(しかし子どもの頃、スイミングスクールに通っているときはこのように習った)。なぜなら、手の甲で流体(この場合はプールの水)の剥離が起こり、渦が生じて負圧となるため大きな抵抗が生じるからである。「水は手のひらに対して40度以下でかく」。そうすれば抗力は小さい。そのためトップスイマー達のフォームを解析すると手は左右上下に大きく動かしているが、前後にはあまり動かしていないそうである。要するにプロペラのように手を振り回すのが一番効率がいいのである。流体の性質の知識があるか無いかでスイマーのタイムは明らかに変わるはずである。

ところで、水着は何であんなに股が浅さいのであろうか?ギャルの股浅ジーンズに負けていないほどだと思う。臀は尾てい骨がようやくかくれる程度で、前もようやく隠れる程度の股浅度である。水の抵抗を考えているとは思えない。なぜならイアン・ソープが着ているような全身スーツタイプの水着のほうが抗力が小さいことはわかっているし、全身スーツタイプでは無くても、骨盤よりウエストの方が周長が短いのだから、ウエストの紐のこと考慮すると股が深い方が進行方向に対する投影面積が小さく抵抗は少ないはずだ。露出度が高い方が売れるのだろうか?ナゾである。

ギャルが穿いている股の浅いジーンズは、スタイル良く見えるらしいが、それとは関係ないほど股浅ジーンズのひとを時々見かける。もしかしたら流体力学と関係があるかもしれない。吉祥寺のある有名な中古家具屋の前でしゃがんでいた女性のおしりは完全にペロンとなっていたが、抗力を極めて小さくしたという研究成果の表れだったのかも。これからの季節みなさん気をつけましょうね(笑)

今日の写真 ~ソフト・ハウス その2~
今回はウズベキスタンはフェルガナのアリーナ。舞台にいるのは独立記念日に向けて踊りを練習する高校生たちです。フェルガナ盆地は日本とほぼ同じ人口密度の人口密集地。反政府暴動の平和的解決を祈っています。

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2005年5月15日

ゴッホ展 東京国立近代美術館

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金曜日にゴッホ展に行ってきました。木曜と金曜の夜が空いていると事前に得ていた情報はあてにならず、ものすごい人でした。チケット買う為に行列に並び、入場するためにやはり行列に並び、会場に入っても順路に並ぶ、といった状態で、ゴッホの人気の高さに正直驚きました。

私のオススメは次の3点。ゴッホ美術館は呼び物になるような絵をあまり出さないのか、いずれもクレラー=ミュラー美術館所蔵の作品です。

「夜のカフェテラス」
カフェの強い蜜柑色のあかりが、路面にも散りばめられていて、夜空の星にも呼応しているような美しい作品。このカフェかなり魅力的なので、世のカフェ経営者のみなさん、参考にしてみてはいかが?

「種まく人」
昔、家の壁に飾ってあった作品。画びょうで留めてありました。本物に出会えて良かったです。何で地面が水色なんだろう?と子どもの頃思っていました。アルル時代のパワー全開の作品。

「糸杉と星の見える道」
こちらも家の壁に画びょうで留めてありました。月と星の周りには磁力線か何かが視覚化されています。糸杉も麦畑も路面もオーラが漂っているて自殺直前の研ぎ澄まされた感性を感じます。

会場では音声ガイドの貸出をしていたが、機材が大きいし片手が塞がるのし、料金も取られるので、タダにする案を提案!館内の音声ガイドを iPod でサービスするというのはどうだろうか? iPod ユーザーにはその場で音声データをダウンロード。非ユーザーには音声ガイドに企業広告を挿入して貸出。ゴッホ展などの美術展に限らず、博物館、古典演劇の開設など世界のミュージアムでのスタンダードを目指す。観光ガイドに利用して町興しなんていいかも。既に実行されているかもしれませんが・・・。

※今日から写真は「ソフトハウス」シリーズです。

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2005年5月13日

「夜霧の恋人たち」を再び観て

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1968年仏、監督トリュフォー。

HDビデオレコーダーの整理をしていたときに、この作品を見つけた。一度観たはずなのに消去していないということは、「面白かったからDVDに焼いて保存せよ」ということだ。しかしどんな映画だったのか思い出せなかったので再生ボタンを押した。オープニングの歌が流れ出すとすぐに思い出した。

残されし恋には、私たちの恋には ♪
あの美しい日々の何が残っているのだろう・・・・・・♪

この歌の詩がこの映画のすべてを表している。
ランデヴーが4月でなくても、小さな村や古い鐘つき堂の思い出はなくても、似たような記憶ならいくらでもあるだろう。そのときに感じた喜びや怒りや悲しみは、時とともにだんだんと色あせて、はかなさと切なさだけが残る。この映画はそうして心に刻まれた想いの集積なのである。いつどこから観ても引き込まれる作品。去年も観ているはずだが、忘れていたのは同じ時期にトリュフォーの作品「突然炎のごとく」が私に忘れがたい大きな影響を与え、こちらを何度も何度も観ていたからである。でも「夜霧の恋人たち」は今年観た映画 No.1 である。シリーズ作品のようなので、他も鑑賞しようと思う。

俳優もみどころ。ジャン・ピエール・レオの無責任な役回りは、いい加減さにしても、若さによる拙さにしても、役と現実のレオの振る舞いが重なるようで目が離せない。デルフィーヌ・セイリグは台詞で美しさの秘密を告白してくれる。クロード・ジャド!手綱の取り方がめちゃ旨い!

ファッションはゴダールのようなコントラストの強さはないが、かわいらしく、今でもそのまま通用します。普段の着こなしの参考になること間違いなし!

※今日で倉庫の写真はおしまい。次回より新シリーズです。お楽しみに!

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2005年5月10日

谷口吉生のミュージアム

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建築家 谷口吉生のミュージアム建築のみに焦点を絞った展覧会へ行って参りました。会場は新宿の東京オペラシティアートギャラリーです。美術展に行って「あぁ、いい展覧会だったな」と良い印象を受けたとき、カタログを買って家で少し読んだりして、物足りなければ再び足を運ぶものですが、この展覧会の場合は再び会場に足を運ぶことは無いでしょう。建物の魅力を伝えるハイビジョン映像やスケールの大きい精巧な模型を見ていると一層物足りなさを感じてしまい、実際に現地に行ってみたいという気持ちが強くなってしまうからです。近いうちに全国に散らばる谷口ミュージアムの巡礼・行脚するつもりです。たぶんニューヨークの MoMA にも行くでしょう。

私の谷口作品への熱情は読者の方には興味無いでしょうから、実際に訪れたことのある谷口ミュージアムの感想を簡単に述べてみたいと思います。

葛西臨海水族館
ここは有名な水族館ですから訪れたことがある方も多いと思う。訪れた当時は谷口の名前さえ知らなかったが、アプローチとガラスドームの入口、カツオが美しく回遊する部屋の印象が強烈に残っている。

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
丸亀駅前広場に建物は面しているのだが、猪熊の壁画とそれを覆う深い軒があるだけで、ファサードは無い。軒下はもうひとつの異なる性質を持った広場となっている。似たような形式の建物にフランス・ニームにあるカレ・ダール(設計:ノーマン・フォスター)がある。幾何形態の外観を持つ建築には、ハイテク色を感じる建築が多いが、谷口の建築にはそれはほとんど感じられない。軽く見せるために薄くしたり、純粋に見せるためのディテールの苦心を微塵も感じさせない。スイス系の建築家のようにマッスな印象でもない。真に軽やかな表情を持つ建築なのである。

東京国立博物館法隆寺宝物館
NHK教育テレビの「日曜美術館」に取り上げられたとき、仏像などの展示物の展示方法に本当に驚き、感銘を受けた。照明器具や展示ケースや背景となる壁などが鑑賞者の妨げにならないように、そして鑑賞にのみ集中できるように、考えられうることは全て細部至るまで配慮されている。谷口の目は建築だけでは無くこの建物にあるもの全てに行き届いている。あえて建築については語るまい。何度でも訪れたい建築。

参照記事:
Masslogue  「谷口吉生のミュージアム」展 レポート
はろるど・わーど 「谷口吉生のミュージアム」 東京オペラシティアートギャラリー 5/3

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2005年5月8日

論理と慣習 その2

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前回の記事は、内容の焦点が定まっていなくて、いったい何が言いたいのかわからないとお思いになった読者もいらっしゃるだろうが、もう少し我慢していただきたい。

ギリシャを離れトルコに渡ると、トイレット・ペーパーはあまり見かけなく無くなった。、中東、東南アジアの国々も同様なのだが、基本的に手動式ウォシュレットなのである。トイレには蛇口や水瓶があり、手桶で水を汲んで手で洗うのである。最初の数回はトイレット・ペーパーを持ってトイレに行ったが、すぐに手動式ウォシュレットに慣れたので切り替えた。その方が論理的にみると衛生的であることに気がついたからである。尻が濡れていてもそのままパンツを穿く。すぐに乾いてしまうので気にならない。そもそも手を洗った後に、ハンカチで拭くなんて滅多にしないではないか。

という話を以前 Kさんにしたら、「キタナイ!」と言われた。インド旅行のご経験もあるKさんは、現地でもトイレット・ペーパーをご使用されていらっしゃったようである。そこでKさんの発言を覆させるべく、私は次のような論理展開を行った。

A.付着した汚物は、紙で拭き取るより、水で洗った方が汚れが落ちて清潔である。
B.手に汚物が付着した場合、A は正しい。
C.当然、肛門の場合も A は正しい。

さんは上記についてはお認めなさったのだが、濡れっぱなしなのが不潔なのだとおっしゃるので、私は更に次のような論理展開を行った。

D.水で洗って清潔になったものは、濡れている状態から乾燥していく課程で、その清潔度が変化することはない。
E.例えば、洗った皿を水切りに立てかけたり、洗った手を自然に乾かすときが D に相当する。
F.当然、肛門の場合も D に当たる。

Kさんは上記についても「う~ん」とうなりながらもほぼ受け入れなさったのだが、今度は、濡れたままパンツを穿くのがキタナイ感じがするとおっしゃっるので、それに対して私は更なる次のような論理展開を行った。

G.水で洗って清潔になったものの水分を拭きとった布は、乾いている状態から濡れた状態に変化してもほぼ清潔である。
H.例えば、手を拭く為のタオルや、皿を拭くフキンがG に当たる。
I.当然、パンツが濡れたとしてもそれは G に相当する。

Kさんはちょっとためらいながらも「でも、キタナイもん」とおっしゃった。私はここで面倒臭くなったので論理展開をあきらめ、水掛け論に変更することにした。「キレイ!」「キタナイ!」「キレイ!!」「キタナイ!!!」当然、議論は平行線のまま。しかし、Kさんの強力な決め台詞「だってほんとうだもん!」が聴かれなかったので、私は少し満足した。ちなみにこの議論はKさんと私の間で何年にも渡り繰り返されている。

このゴールデンウィークにKさんとも面識のあるTがインドを旅行した。帰国報告の電話をもらったので、トイレではトイレット・ペーパーを使ったのか、手動ウォシュレットを実行していたのか訊いてみた。回答は、トイレット・ペーパーを使用していた、手で洗うのは清潔では無い。なぜ清潔ではないのかというと、「指に染み込むから」とのことだった。
そりゃ、すり込むように洗えばそうだろうが・・・。

KさんにTのこの話をメールでお伝え申し上げると、いつもより早くお返事を頂いた。
>そうですか。Tさんも同じですか。
>てかふつうですよ!!
>hyodoさんがマイノリティーなのです。笑。

何?マイノリティーだって?どっちが!インドは10億人もそうしているんだぞ!!と私は思ったが、結果として論理は慣習に及ばないことを思い知った。私はKさんとTに負けた。論理が正しいとしても慣習は宗旨替えをさせることと同じくらい大変なことなのである。

わたしは悔しかったので、インドにもバングラディシュにも行ったことがあるYさんにこの話をしてみた。Yさんは私の論理展開はどうでも良かったみたいだが、「多様な文化があるということでいいじゃない」と言ってくれた。私は仲間ができたので嬉しくなり、ようやく心涼しくなったのだった。

※ちなみに私の自宅のトイレはTOTOのウォシュレットを設置している。トイレット・ペーパーで水分は拭き取っています(笑)。日本は濡れた服が乾くのに時間が掛かりますので・・・。

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カテゴリー:雑記 |  コメント (6) |  投稿者:hyodo

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