2009年1月18日
2004 年賀状
以前、マカオ・タイパ島を訪れました。下町へ遊びに行く途中にあったお寺のお堂へ入ると、たくさんの渦巻き状の線香がぶら下がっていました。堂内は暗いのですが、高窓から差し込む光と思わぬコントラストが生まれていました。
以前、マカオ・タイパ島を訪れました。下町へ遊びに行く途中にあったお寺のお堂へ入ると、たくさんの渦巻き状の線香がぶら下がっていました。堂内は暗いのですが、高窓から差し込む光と思わぬコントラストが生まれていました。
ありふれたエスカレータを撮った写真です。手すりの部分に蛍光灯が仕込まれていて、夕暮れ時に美しい光景になります。仕事で外出したときに偶然発見したこの場所は誰にも教えていません。と言っても東京の大きな駅のペデストリアン・デッキにあるものなので、利用者はかなり多いと思います。
この年にイタリアのアマルフィ周辺を訪れイタリア式庭園を観て周りました。この写真はチンブローネ荘の「無限のテラス」。アマルフィから北へ6kmほど登ったラヴェッロという小さな古い街にあります。
Buona estate! とは、「良い夏を!」という意味ですが、私が伊和辞典を調べた訳なので、正しいイタリア語になっているかどうかわかりません。
ソウル景福宮を囲んでいる石とレンガの壁です。レンガはただ積んでいるだけではなく亀甲模様になっていて、その中心には花の文様があしらわれています。さらに左右四角に積まれている箇所はそれぞれ「寿」と「萬」の文字。おめでたいので年賀状にしました。
確か鎌倉の由比ガ浜だったと思います。潮風で錆びてボロボロのガードレール。その向こうの砂浜はピントがぼやけています。砂浜をひとり歩いている光景に夏の終わりを感じて、残暑見舞のハガキにしました。
赤羽の荒川の河川敷で、緑色の橋は京浜東北線、高崎線、宇都宮線の鉄橋です。時々この場所で本を読んだり、友人とビールを飲んだりしています。なんとなく夕景を撮ってみたら、少し抽象的な不思議な作品になりました。
11月20日(木) 19:00~川口メディアセブンにて、都築響一氏による講演があった。
備忘録としてメモをまとめる。
1.ボロ ―青森のノラ着コレクション―
貧困からくる機能美。
アートとクラフト・・・アートの方がむしろ形式にこだわっている。
クラフトには作為が少ない分、時に新しい発見がある。
2.刑務所良品 ―普通すぎる家具たち。究極の典型―
3.スナック ―ママのキャラだけが勝負の厳しい世界―
日本全国27万件の中で一番多い店名は「ライムライト」
長くやっている店は面白い。
4.テクノロジーに対する懐疑
5.どりゃーおじさん ―飛び降りる崖を求めて―
究極の崖、東尋坊に20000回飛び込む男。朝日放送「探偵ナイトスクープ」を観賞。
まとめ――これらの人々に共通している要素――
感想
僕たちが普段思っているアートというのは、既存の美が形式化されたものである。美を意識しながら何かを作るということは、既存の美の枠組みにとらわれているということだ。芸術が人に感動をもたらすのはもちろんだが、芸術が芸術自体に揺さぶりをかけるとするならば、芸術は美に先行する。美は芸術が人々に認識されながら文化として定着していく過程で社会化された感情なのかもしれない。
また、この講演でMiroslav Tichyを知ったことは大きな収穫であった。
>グーグルイメージ検索の結果はこちら
この人は、ホームレスのような生活をしているのだが、少女たちの写真を撮りたいという尋常でない思いに駆られて、カメラをダンボールで自作した。自分の風貌の怪しさにより被写体に近づけないということもわかっていたので、老眼鏡などの眼鏡のレンズ(多分拾ったもの)をボール紙の筒に嵌め込んで望遠レンズや引き伸ばし機までも自作した。現代では信じられないようなローテクにより、古風で幻想的な作品が生まれた。作品は彼本人のためのものであったが、誰だかに見出され作品は高額で取引されているらしい。プリント(おそらくカメラ店で捨てられていたプリント紙の端切れ)は彼による額装(やはり拾った紙を切ったもの)がされており、展覧会では彼の額装された作品にマットをつけて更に額装して展示されいると同時に、ボール紙のカメラや彼の風貌も彼の作品と同等(それ以上かも)感銘を読んでいるらしい。
とりあえずポンピドーセンターでの展覧会のカタログが欲しくなった。
今日の写真
今週初めに益子に行ってきました。朝、益子の森の展望台からの風景です。富士山のような山は芳賀富士(標高271.7m)。益子の森の敷地内にある内藤廣設計のフォレスト益子(おススメです)に泊まり、陶器店を巡りながら荒物探しをしたのですが、結構面白い掘り出し物がありますね。おしゃれなカフェギャラリーも多く楽しめる町です。