2009年7月4日
今回は、フルシチョフ体制下で建設された経済性・機能性、非装飾性を美徳としたソヴィエト・スタイルの建築を紹介します。上の写真は、「国立クレムリン宮殿(通称:大会宮殿)」です。クレムリン宮殿内の建築物群の中でこの建物だけが唯一ソヴィエト・スタイルであったために、クレムリン宮殿全体でのユネスコ世界遺産の指定を外されてしまったそうです。ウスペンスキー聖堂などは、個別にユネスコ世界遺産に登録されています。
この建物は『ロシア建築案内』によると、1970年代に建てられたようなので、フルシチョフ時代ではなく、ブレジネフ時代の建築です。通称、「ホワイトハウス」と呼ばれているロシア連邦政府ビルです。ちょっとクラシカルで権威主義的な雰囲気があります。
モスクワ市役所(旧コメコン本部)です。『ロシア建築案内』によると、開いた本のようなフォルムは、コメコンが平和的・建設的な組織であることを象徴している、そうです。なんとなくなのですが、コルビュジエの高層ビル計画案を思い出してしまいました。
ホテル「ロシア」は、ヨーロッパ最大と言われた3,070室のホテルで、共産党大会に集まる全国の代議士のために建てられたそうです。赤の広場まで5分ほどの場所で、立地が良く宿泊料も安かったのでモスクワ滞在中はここに泊っていました(と言ってもツインで140US$位した。2004年当時、ロシアは旅行者の泊まれるホテルが限られており大変高額で、140US$程度で泊まれるホテルは非常に安いのです)。東西南北4区域に分かれて営業しているようで、一番ショボイ北棟からチェック・インしてしまい失敗でした。しかし既にこのホテルは無く、ウィキペディアによると、2006年1月1日に営業停止、ノーマン・フォスター設計の新ホテルを建設中だとか。
ソヴィエト・スタイルは、スターリン死後に書記長となったフルシチョフが、華美なスターリン・アンピール様式を否定し、一般市民の居住環境を改善するために経済効率の高いローコスト住居を大量供給を目指した政策で生まれた様式でした。その頃の一般市民は数世帯が一戸に共同入居していたほど住環境は劣悪だったようです。この集合住宅群はモスクワの新アルバートにあり、人間を拒絶するような彫刻的な美しさがあります。日本もそうですが、住環境を良くするために計画された集合住宅(いわゆる団地)が、ヒューマニティーに欠けているように見えてしまうことが多いのは、なんとも皮肉なものです。
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2009年6月28日
上野の国立西洋美術館がユネスコ世界遺産の選考に落選したので、今回はコルビュジエでいきます。ル・コルビュジエがソ連邦に計画、唯一実現した建築がモスクワにあります。写真はミャスニーツカヤ通りのファサードで、厳密に対称形になっています。そういった意味ではクラシカルな建築ということもできます。コルビジュエはこの計画の後、ソヴィエト宮(実現せず)の計画にグロピウス、メンテルゾーンとともに参加を要請されています。この計画は対称軸にしたがって配された建築群の形態が有機的なものに変化しています。『ル・コルビュジエの生涯』によると、「セントロソユースの計画の説明のために何度もモスクワに言ったが、構成主義建築の発展が明らかに彼に影響を与えている。そのほかに、それより少し前、マルクス主義の進歩主義的批評家たちが彼のことを形式的伝統主義者だと非難していた。」とあり、更に「多分彼は、当時のロシアのすぐれた計画を念入りに研究したのである」とあります。なかなか興味深い文章です。ソヴィエト宮の模型がニューヨーク近代美術館あるようなので、ちょっと見てみたくなりました。
上の写真はカーテンウォールをもう少しアップで写したものです。どうやらカーテンウォールはダブルスキンになっているようです。空調計画はどうなっているのでしょうか?
『ロシア建築案内』によると、「壁面はガラスのカーテンウォールとなっていたが、その案にはロシアの厳しい冬は考慮されていなかったため、ガラスの大部分がフレーム部分のみに使われる予定だったバイオレット・ピンクの凝灰岩に変更されている」、とありますが、ずいぶん大きなガラス面に感じられます。
『ル・コルビュジエの生涯』によると、「このような大きなガラス面は、ル・コルビュジエにとって初めてであった。」と書かれています。
この建築は見学当時ちょっと勉強不足で、メインのファサードはサハロフ博士大通り側であり、ミャスニーツカヤ通り側ではないことは後で知り、そちらの面は見ていないので本当に残念です。この建築の当初の計画では、コルビュジエの近代建築の五原則のひとつピロティで建物全体が持ち上がっていて、向こうの通りに抜けられるはずだったそうです。計画された1928年当時はロシア・アヴァンギャルド黄金期でしたが、既にレーニンは24年死去していて、竣工時期はスターリンの「スタイルと趣向の圧政」によってネオ・クラシック様式に移行し始めていました。
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投稿者:hyodo
2009年6月27日
サンクト・ペテルブルグは18世紀初頭につくられた比較的若い街です。それまではネヴァ川河口の何もない湿地帯でした。ヨーロッパで理想とされた、規則性に重点置いた幾何学的都市計画が実践されています。このエントリーでは蜂起広場から旧海軍省を結ぶネフスキー大通りから宮殿広場までのシークエンスを取り上げます。上の写真はネフスキー大通りから旧海軍省の方向を見たところです。中央に海軍省の尖塔がうっすらと見えます。ネフスキー大通りは車道片側4車線、歩道も広くペテルブルグのメイン大通りです。蜂起広場から海軍省の最寄り駅までは地下鉄でひと駅なのですが、その間の距離は3kmもあります。
海軍省のひとつ手前を右に曲がると参謀本部のアーチが第1アーチが見えてきます。左手の建物は国際市外電話曲(旧アゾフ=ドン銀行)でロシア・モダン様式の好例です。
少し左に折れながらさらに第2、第3アーチをくぐります。アーチの先にはアレクサンドルの円柱と冬の宮殿エルミタージュが見えてきます。
参謀本部のアーチを全て抜けると正面には茫漠たる広場とエルミタージュが必然的に目に飛び込んできます。
まとめますと
- 大通り(ネフスキー)大通り)の先にランドマーク(海軍省の尖塔)が見える
- 右手に曲がるとアーチが見えるがその先は見えない
- アーチをくぐると少し左に折れて次のアーチが見える
- 次のアーチを広場(宮殿広場)に出る
なかなか素晴らしい演出です。
地面を歩いているとこの広場の良さは感じられにくいのですが、俯瞰してみると美しい広場です。幾何学的都市は、神の視点で計画されているいるのでしょう。上の写真はエルミタージュの3階(美術館なのに窓が開いていた!)から宮殿広場と参謀本部を見たところです。
タグ:宮殿広場
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2009年6月25日
前回のペテルブルグの地下鉄に続き、今回はモスクワの地下鉄を紹介します。モスクワの地下鉄はペテルブルグと比較して、①豪華な駅が多く②深度が浅いです。写真はコムソモーリスカヤ駅と思われます。
地下を支える柱にしては細い感じがします。何駅か不明。
この駅はやたら重厚です。やはり何駅か不明。
陶板で出来ているのか反射してちょっと見づらいのですが、レーニンのレリーフを発見しました。
更にスターリンのモザイク画も発見しました。レーニンはともかく、こちらはよく落書きなどのイタズラにあっていないものだなぁ、と感心してしまいました。
少し郊外の駅へ行くと、豪華絢爛な装飾はなくなりシンプルです。
ホームには案内板があまりないのですが、普段利用している人にとっては、駅舎のデザインでどこの駅かわかるのでしょう。駅舎はどこもデザインが異なっているようです。
モスクワの地下鉄のエスカレーターはヴォールト天井に広告が続いていました。街中の看板と比べればマシですが、やはりうっとおしいです。
モスクワの地下鉄の車両はペテルブルグと同じようです。
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投稿者:hyodo
2009年6月24日
ロシアの地下鉄(Метро)をサンクト・ペテルブルグとモスクワの2回に分けて紹介します。ペテルブルグの地下鉄はモスクワよりも地下深いようです。初めて蜂起広場近くのマヤコフスカヤ駅からエスカレーターに乗った時、とにかくその長さに驚きました。地下1階程度のところでジュトン(硬貨)を窓口で買い、改札にジュトンを投入してバーを通過したあとにこの長いエスカレーターがあります。余りに長いからかエスカレーターに乗りながら読書や会話に夢中の人びとを見かけました。モーターの負荷を減らすためと思われますが、エスカレーターの踏面はプラスチックのような軽い材料(そういえばブダペストのメトロのエスカレーターも木の踏み面だったような記憶があります)で作られており、一番下の部分には安全・監視のために常時管理人が詰めている小屋がありました。ヴォールト天井に手摺に設置された照明がキレイに反射し、地下鉄乗車の期待を盛り上げてくれます。
地下鉄のホームです。駅名はたぶん3号線のマヤコフスカヤ。ヴォールト天井って地下っぽい雰囲気を演出するのに有効ですね。装飾照明の光源が白色蛍光灯なところが、かえって味があるような気がします。
こちらの駅名はたぶん3号線のネフスキー・プロスペクトのホーム。デザインが違います。腰壁のモールディングは確か大理石でした。
こちらの駅名はたぶん3号線のネフスキー・プロスペクトから2号線へ乗り換えるガスティーヌィ・ドヴォール駅のホーム。通路っぽく見えますがホームです。ヴォールト天井の壁際に間接照明を仕込むのはよく見かけますよね。ここでの注目は赤いタイルの壁です。
このホームから線路は見えません。地下鉄の車両も見えません。赤いタイルの壁にはエレベーターのドアのような開口部があり、そこから地下鉄に乗り降りします。最近東京のメトロや新幹線のホームに安全柵が付くようになってきましたが、ロシアではずっと前から行われていたんですね。しかし、車両が見えず、どちらから入線してきたのかもわからないので、変な感じがします。電車というよりは横に長いエレベーターに乗っているような感じです。
車内の様子です。光源は電球のようです。電球型蛍光灯かもしれませし、昔はシリカ球だったかもしれません。ただ直管形蛍光灯ではないというところに、車内インテリアへのこだわりが感じられます。そういえば吊皮もありませんでした。代わりにステンレス・バーが天井に付けられています。
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投稿者:hyodo
2009年6月23日
イズヴェスチャ本社は、『ロシア建築案内』によると、バールヒン設計のロシア構成主義の建築でモスクワのプーシンスカヤ広場にあります。バールヒンのカッコイイパースや写真に魅せられて現地に赴いたのですが、地図を持って現地を見まわしてもすぐには見つけられませんでした。2004年当時は写真のように、壁面広告だけでなく広告塔まで屋上に付けられてしまって気がつかなかったのです。なんとも無残です。
イズヴェスチャ(ИЗВЕСТИЯ)の看板文字は、右側最上階についているものはオリジナルよりデザイン的に劣っており安っぽくなっています。左側のレリーフ看板も新しそうですが、こちらはまだいいかなぁ。
トヴュルスカーヤ通り側はこのようになっています。
イズヴェスチャ本社のあるプーシンスカヤ広場の奥には映画館「ロシア」があります。近代の都市計画によって作られた広場はどこの国はこんな風景なんでしょうが、なんとなく僕のなかではこういった風景にソ連を感じます。
タグ:イズヴェスチャ
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投稿者:hyodo
2009年6月22日
勝利広場は、ソヴィエト・スタイルの素晴らしい都市計画です。ロシアに到着した日、サンクト・ペテルブルグ近郊のプールコヴォ空港からタクシーで中心街のホテルへ向かう途中、この広場を通過したのですが、街に迎えられたような印象が残っています・・・・・・しかしサンクト・ペテルブルグではなくレニングラードに・・・・・・。
写真はモスクワ大通りの軸線上から撮影。オベリスク、彫刻、ビルが等価に扱われています。
左右の高層ビルは市内へのゲート、その先の長い中層集合住宅は市内への大通りを印象付けています。中央の広場は俯瞰すると楕円形で周囲は5車線の道路で囲まれた、欧州都市で良く見られるロータリーになっています。
ソ連解体後の街並みは無残にも広告だらけになっています。この写真のビル妻面前面に大きな広告がありますが、中心街のネフスキー大通りよりはずっとマシです。
この広場は近代の計画(1962年)ですが、機能・安全といった人間工学的なアプローチや民主的手続きを経た計画とはだいぶ異なります。それよりも重要だったことは、レニングラードが前線で戦う兵士と後方を支援する労働者により、侵攻してきたドイツ軍を打ち破った歴史を刻み、戦後共産政体の優位性を象徴することでした。
公開コンペで選ばれた建築家スペランスキーのテーマは「突破」で、広場地下の環状壁の一部(写真手前)が破れています。彫刻はアニクーシン。
車道の合流地点。乗用車やバスの大きさから、この広場の巨大なスケールがわかります。
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投稿者:hyodo