『建築』 の記事

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2009年6月27日

ネフスキー大通りから宮殿広場へ

ネフスキー大通り
サンクト・ペテルブルグは18世紀初頭につくられた比較的若い街です。それまではネヴァ川河口の何もない湿地帯でした。ヨーロッパで理想とされた、規則性に重点置いた幾何学的都市計画が実践されています。このエントリーでは蜂起広場から旧海軍省を結ぶネフスキー大通りから宮殿広場までのシークエンスを取り上げます。上の写真はネフスキー大通りから旧海軍省の方向を見たところです。中央に海軍省の尖塔がうっすらと見えます。ネフスキー大通りは車道片側4車線、歩道も広くペテルブルグのメイン大通りです。蜂起広場から海軍省の最寄り駅までは地下鉄でひと駅なのですが、その間の距離は3kmもあります。

参謀本部第1アーチ
海軍省のひとつ手前を右に曲がると参謀本部のアーチが第1アーチが見えてきます。左手の建物は国際市外電話曲(旧アゾフ=ドン銀行)でロシア・モダン様式の好例です。

参謀本部第2、第3アーチ
少し左に折れながらさらに第2、第3アーチをくぐります。アーチの先にはアレクサンドルの円柱と冬の宮殿エルミタージュが見えてきます。

宮殿広場
参謀本部のアーチを全て抜けると正面には茫漠たる広場とエルミタージュが必然的に目に飛び込んできます。

まとめますと

  1. 大通り(ネフスキー)大通り)の先にランドマーク(海軍省の尖塔)が見える
  2. 右手に曲がるとアーチが見えるがその先は見えない
  3. アーチをくぐると少し左に折れて次のアーチが見える
  4. 次のアーチを広場(宮殿広場)に出る

なかなか素晴らしい演出です。

宮殿広場
地面を歩いているとこの広場の良さは感じられにくいのですが、俯瞰してみると美しい広場です。幾何学的都市は、神の視点で計画されているいるのでしょう。上の写真はエルミタージュの3階(美術館なのに窓が開いていた!)から宮殿広場と参謀本部を見たところです。

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2009年6月25日

モスクワの地下鉄

モスクワの地下鉄
前回のペテルブルグの地下鉄に続き、今回はモスクワの地下鉄を紹介します。モスクワの地下鉄はペテルブルグと比較して、①豪華な駅が多く②深度が浅いです。写真はコムソモーリスカヤ駅と思われます。

モスクワの地下鉄
地下を支える柱にしては細い感じがします。何駅か不明。

モスクワの地下鉄
この駅はやたら重厚です。やはり何駅か不明。

モスクワの地下鉄
陶板で出来ているのか反射してちょっと見づらいのですが、レーニンのレリーフを発見しました。

モスクワの地下鉄
更にスターリンのモザイク画も発見しました。レーニンはともかく、こちらはよく落書きなどのイタズラにあっていないものだなぁ、と感心してしまいました。

モスクワの地下鉄
少し郊外の駅へ行くと、豪華絢爛な装飾はなくなりシンプルです。

モスクワの地下鉄
ホームには案内板があまりないのですが、普段利用している人にとっては、駅舎のデザインでどこの駅かわかるのでしょう。駅舎はどこもデザインが異なっているようです。

モスクワの地下鉄
モスクワの地下鉄のエスカレーターはヴォールト天井に広告が続いていました。街中の看板と比べればマシですが、やはりうっとおしいです。

モスクワの地下鉄
モスクワの地下鉄の車両はペテルブルグと同じようです。

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2009年6月24日

サンクト・ペテルブルグの地下鉄

サンクト・ペテルブルグの地下鉄
ロシアの地下鉄(Метро)をサンクト・ペテルブルグとモスクワの2回に分けて紹介します。ペテルブルグの地下鉄はモスクワよりも地下深いようです。初めて蜂起広場近くのマヤコフスカヤ駅からエスカレーターに乗った時、とにかくその長さに驚きました。地下1階程度のところでジュトン(硬貨)を窓口で買い、改札にジュトンを投入してバーを通過したあとにこの長いエスカレーターがあります。余りに長いからかエスカレーターに乗りながら読書や会話に夢中の人びとを見かけました。モーターの負荷を減らすためと思われますが、エスカレーターの踏面はプラスチックのような軽い材料(そういえばブダペストのメトロのエスカレーターも木の踏み面だったような記憶があります)で作られており、一番下の部分には安全・監視のために常時管理人が詰めている小屋がありました。ヴォールト天井に手摺に設置された照明がキレイに反射し、地下鉄乗車の期待を盛り上げてくれます。

サンクト・ペテルブルグの地下鉄
地下鉄のホームです。駅名はたぶん3号線のマヤコフスカヤ。ヴォールト天井って地下っぽい雰囲気を演出するのに有効ですね。装飾照明の光源が白色蛍光灯なところが、かえって味があるような気がします。

サンクト・ペテルブルグの地下鉄
こちらの駅名はたぶん3号線のネフスキー・プロスペクトのホーム。デザインが違います。腰壁のモールディングは確か大理石でした。

サンクト・ペテルブルグの地下鉄
こちらの駅名はたぶん3号線のネフスキー・プロスペクトから2号線へ乗り換えるガスティーヌィ・ドヴォール駅のホーム。通路っぽく見えますがホームです。ヴォールト天井の壁際に間接照明を仕込むのはよく見かけますよね。ここでの注目は赤いタイルの壁です。

サンクト・ペテルブルグの地下鉄
このホームから線路は見えません。地下鉄の車両も見えません。赤いタイルの壁にはエレベーターのドアのような開口部があり、そこから地下鉄に乗り降りします。最近東京のメトロや新幹線のホームに安全柵が付くようになってきましたが、ロシアではずっと前から行われていたんですね。しかし、車両が見えず、どちらから入線してきたのかもわからないので、変な感じがします。電車というよりは横に長いエレベーターに乗っているような感じです。

サンクト・ペテルブルグの地下鉄
車内の様子です。光源は電球のようです。電球型蛍光灯かもしれませし、昔はシリカ球だったかもしれません。ただ直管形蛍光灯ではないというところに、車内インテリアへのこだわりが感じられます。そういえば吊皮もありませんでした。代わりにステンレス・バーが天井に付けられています。

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2009年6月23日

イズヴェスチャ本社

イズヴェスチャ本社
イズヴェスチャ本社は、『ロシア建築案内』によると、バールヒン設計のロシア構成主義の建築でモスクワのプーシンスカヤ広場にあります。バールヒンのカッコイイパースや写真に魅せられて現地に赴いたのですが、地図を持って現地を見まわしてもすぐには見つけられませんでした。2004年当時は写真のように、壁面広告だけでなく広告塔まで屋上に付けられてしまって気がつかなかったのです。なんとも無残です。
イズヴェスチャ(ИЗВЕСТИЯ)の看板文字は、右側最上階についているものはオリジナルよりデザイン的に劣っており安っぽくなっています。左側のレリーフ看板も新しそうですが、こちらはまだいいかなぁ。

イズヴェスチャ本社
トヴュルスカーヤ通り側はこのようになっています。

映画館ロシア
イズヴェスチャ本社のあるプーシンスカヤ広場の奥には映画館「ロシア」があります。近代の都市計画によって作られた広場はどこの国はこんな風景なんでしょうが、なんとなく僕のなかではこういった風景にソ連を感じます。

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2009年6月22日

勝利広場

勝利広場
勝利広場は、ソヴィエト・スタイルの素晴らしい都市計画です。ロシアに到着した日、サンクト・ペテルブルグ近郊のプールコヴォ空港からタクシーで中心街のホテルへ向かう途中、この広場を通過したのですが、街に迎えられたような印象が残っています・・・・・・しかしサンクト・ペテルブルグではなくレニングラードに・・・・・・。
写真はモスクワ大通りの軸線上から撮影。オベリスク、彫刻、ビルが等価に扱われています。

勝利広場
左右の高層ビルは市内へのゲート、その先の長い中層集合住宅は市内への大通りを印象付けています。中央の広場は俯瞰すると楕円形で周囲は5車線の道路で囲まれた、欧州都市で良く見られるロータリーになっています。
ソ連解体後の街並みは無残にも広告だらけになっています。この写真のビル妻面前面に大きな広告がありますが、中心街のネフスキー大通りよりはずっとマシです。

勝利広場
この広場は近代の計画(1962年)ですが、機能・安全といった人間工学的なアプローチや民主的手続きを経た計画とはだいぶ異なります。それよりも重要だったことは、レニングラードが前線で戦う兵士と後方を支援する労働者により、侵攻してきたドイツ軍を打ち破った歴史を刻み、戦後共産政体の優位性を象徴することでした。

勝利広場
公開コンペで選ばれた建築家スペランスキーのテーマは「突破」で、広場地下の環状壁の一部(写真手前)が破れています。彫刻はアニクーシン。

勝利広場
車道の合流地点。乗用車やバスの大きさから、この広場の巨大なスケールがわかります。

グーグルマップはこちら

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2009年6月20日

宇宙飛行士記念博物館

宇宙飛行士記念博物館
宇宙飛行士記念博物館とは、クレムリンの北約7kmにある全ロシア博覧会場入口(ゲートの外)にある、ガガーリンの功績とソ連の宇宙技術を讃えた博物館です。写真のよに非常にモニュメンタルな建築で、ロケットと噴射ガスのスカルプチャの部分はチタン製だとか。中央奥のバームクーヘンを切ったようなビルはホテルコスモス。

宇宙飛行士記念博物館
上の写真が基壇部分でガガーリンを讃えた浮き彫りがあります。この内部が博物館です。建設年代がちょっとわからないのですが、ヴェンチューリ&ブラウンが『ラスベガス』を執筆していた頃位ですかね。チタンのスカルプチャにブロンズの浮き彫り・・・・・・この建築は大変高価な「ダック」です。ガガーリンの宇宙飛行は1961年ですから建設はそれ以降で、『ラスベガス』の発表は1972年です。

宇宙飛行士記念博物館
それほど展示点数が多いわけではありませんが、宇宙服、ミール等の模型などが観賞でき、宇宙ムードを楽しめます。

宇宙飛行士記念博物館
その後モスクワからキルギスへ行ったのですが、首都ビシュケクからカラコルへ行く途中、上の写真中央上部のモニュメントを発見。モスクワの宇宙飛行士記念博物館のモニュメントの縮小コピーです。現地の人から聞いてわかったのですが、カラコルの近くにガガーリンは別荘を持っていて避暑に来ていたんだとか。

宇宙飛行士記念博物館
先の4枚の写真は2004年の記録ですが、2008年、埼玉県所沢の西武新宿線線、航空公園駅ロータリー近くにて、このようなモニュメントを発見!!かなり似ていますというか、これを製作した方は、モスクワの宇宙飛行士記念博物館を知っていたに違いありません。こちらもチタン製です・・・・・・たぶんいいとこステンレスでしょう?

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2009年6月19日

最北のモスク

最北のモスク
世界最北のモスクだそうです。場所はサンクト・ペテルブルグ、アレクサンドロフスキー公園の東側脇にあります。『ロシア建築案内』のデータは下記

1882年 計画が持ち上がる。
1906年 モスク建設委員会設立(後に首相となるP.ストルィーピンとブハラ・ハン国王より資金援助)
1907年 ニコライ2世、モスク建設許可
1908年 設計コンペ開催。N.ヴァシーリエフが「チムール」「アラベスク」の2案で1位、2位獲得。実施案は2案の折衷。

コンペ案「アラベスク」のドローイングが『ロシア建築案内』に載っているのですが、これが面白いです。ミナレットは1本のタワーに集約され、メインドームのフォルムも実施より更に縦に長く、小さなドームも合わせた全体のバランスが東方教会的だったりします。

最北のモスク
建物正面の写真を撮ろうとしたら、逆光な上太陽高度も低い(8月です)ので、ミナレットに太陽を隠して撮影。このモスクのメインの入口(イーワーン)は東側(写真右側面)です。ここまで書いてミフラーブの方位はどちらになるのかグーグルマップで調べたところほぼ真南がメッカになるんですね。

最北のモスク
メイン・イーワーンです。前の写真の正面は北立面ですが、右側面の東立面を見ると、どのようなバランスでこのイーワーンがあるのかわかると思います。シンメトリーではなく、東立面の左側すなわち北東角になります。日本では丑寅の方位で鬼門ですね。このモスクの東側は、トロイツキー橋につながるカメノオストローフスキー大通りに面しており、ミフラーブは南になるので、北東をメイン・イーワーンとしたのでしょう。

最北のモスク
ドームには襞がありゴージャスです。襞付きドームはウズベクのビビ・ハーヌムなどにもありますが、フォルムがどのドームより高くそれでいて尖塔型ではないので珍しい気がします。内部は公開されていなかったので、泣く泣くモスクを後にしました。当然ながらソ連時代は全く使われていなかったと思いますが、現在信者はどうしているのでしょうか?

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